終末期医療における安楽死

質問

終末期医療におけるいわゆる安楽死が法的に許容されるのはどのような場合でしょうか。

回答

終末期医療において安楽死が許容されるか否かは医療倫理における大きな問題の一つとされますが、一口に安楽死といっても様々な態様が想定されます。安楽死の行為態様に基づいて①医師らが結果として患者が死亡に至る行為を遂行するもの(積極的安楽死)と②医師らが生命維持治療を差し控えたり中止したりすることで患者が自然に死亡するにまかせるもの(消極的安楽死)に分類されます。

厚生労働省は「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」を示しており、2018年1月には2007年の策定以来11年ぶりの改定案が示されました。ガイドラインは終末期において積極的な治療を望まない患者の意思を尊重するための手続を定めています。自宅や介護施設で最後を迎えたいと望む人が増えていることから、改定案ではこれまでどおり患者本人の意思決定を基本としつつ、これまでの医療従事者のチームで話し合うとしていたのをケアマネージャーや介護スタッフら介護従事者も含めたチームで判断すると変更したほか、意思決定については繰り返し話し合う必要性、話し合いの内容を文書にする重要性が明記されました。また、患者が意思を伝えられない状態になった場合に備えて、患者家族などを患者の意思を推定する者として前もって決めておくことを推奨するなどより現実に即した内容への変更案となっています。もっとも、このガイドラインは積極的安楽死を対象としないことを明示しており、また安楽死の許容性について具体的な指針となるまでの内容ではありません。法的に許容される安楽死を明確にし、医師が民事上、刑事上、行政上の責任を問われないようにするため安楽死を法制化しようとする動きもありますが実現はしていません。

具体的に安楽死が問題となる場面において、医師のとった措置が法的に許容されるかが争点となった裁判例を紹介します。

1 東海大学安楽死事件(横浜地裁平成7年3月28日判決)

多発性骨髄腫で余命数日と思われる患者につき全身状態の悪化とともに意識レベルが低下したころから、患者家族が担当医師に対したびたびの治療中止を要請しましたが医師はこれを拒否していました。その後5日ほどで患者は疼痛刺激に全く反応しない状態にまで意識レベルが低下しました。患者家族は看護師らに繰り返し治療の中止を訴えましたが、そのたび医師が治療の継続を説得していました。ところが家族の態度が強固であったことから、医師はついには家族の希望を受け入れることを決意し、患者の死期を早めかねないと思いつつフォーリーカテーテル、点滴、エアウェイを外しました。その後も患者の苦悶様の呼吸が続いたことから「楽にしてやって下さい」「何とかして下さい」との患者の長男から要求があり、医師は直ちには応じませんでしたが最終的には通常の2倍量ワソランと塩化カリウム製剤をそれぞれ患者に静脈注射し患者を心停止により死亡させたという事案です。
裁判所は、積極的安楽死は、苦痛から解放してやるためとはいえ、直接生命を絶つことを目的とし、苦痛から免れるため他に代替手段がなく生命を犠牲にすることの選択も許されてよいという緊急避難の法理と、その選択を患者の自己決定に委ねるという自己決定権の理論を根拠に認められるとし、医師による末期患者に対する致死行為が積極的安楽死として許容される要件として、①患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること、②患者は死が避けられず、その死期が迫っていること、③患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと、④生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること(患者の推定的意思では足りない)の4つを提示しました。そして、本件においては患者は死期切迫・回復不可能な状態にあり、治療中止の検討対象となりうる段階にはあったが、安楽死が許容される前提となる肉体的苦痛は存在せず、患者の明示の意思表示もなかったとして、医師に殺人罪の成立を認めました(懲役2年、執行猶予2年、1審判決確定)。
なお、同判決は傍論ながら治療中止が許容される一般的な要件について、(1)治癒不可能な病気に冒され回復の見込みがなく死が避けられない末期状態にあること、(2)治療行為の中止を求める患者の意思表示が中止の時点で存在すること(消極的安楽死においては推定的同意でも足りる)、(3)疾病治療、対処療法、生命維持全ての治療措置が対象となるが死期の切迫の程度、当該措置の中止による死期への影響の程度等を考慮して、医学的にもはや無意味であるとの適正さを判断し、自然の死を迎えさせるという目的に沿って決定されることの3つを挙げています。

2 川崎協同病院事件(最高裁平成21年12月7日決定)

気管支ぜん息重積発作を起こし心肺停止状態で病院に運び込まれた患者が、救命措置により心肺は蘇生したものの意識は戻らず、脳に重い後遺症が残りこん睡状態が続いたため、医師は患者の脳の回復は期待できないと判断し、患者の妻らに病状を説明し、呼吸状態が悪化した場合に再び人工呼吸器を付けることはしない旨の了解を得、患者様態が急変しても心肺蘇生措置を行わない方針を患者の妻らと確認しました。患者自身の終末期における治療の受け方についての考え方は明らかではなかったところ、数日後に患者の回復をあきらめた家族から「みんなで考えたことなので抜管してほしい」との要請があったため、医師は抜管を決意し、患者が死亡することを認識しながら気管内チューブを抜き取るとともに、呼吸確保の措置も採りませんでした。ところが、患者が身体をのけぞらせるなどして苦悶様呼吸を始めたため、医師は准看護師に指示して患者に対して筋し緩剤ミオブロック3アンプルを静脈注射の方法により投与し患者を心停止により死亡させたという事案です。
1審は、治療中止は、患者の自己決定権と治療義務の限界を根拠に許容されるとしましたが、本件では家族の要請も死期の切迫性も認められないとして医師による抜管行為と筋し緩剤投与行為は殺人罪を構成するとしました(懲役3年、執行猶予5年)。
2審は、抜管行為は家族の要請によるものだとして刑こそ軽くしましたが、本件行為が適法とされる余地はなく殺人罪を構成するとしました(懲役1年6月、執行猶予3年)。
最高裁は、筋し緩剤の投与行為については家族の承諾もなく治療中止には当たらず殺人行為に当たることが明らかであるとし、医師の有罪が確定しました。同判決は、本件の抜管行為が適法な治療中止として認められるかについて、上記の事実経過において人の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されておらず、発症からいまだ2週間でもあり、その回復可能性や余命について的確な判断を下せる状況にはなかったとし、患者はこん睡状態にあったところ、患者家族からの気管内チューブの抜管の要請は被害者の病状等について適切な情報が伝えられたうえでされたものではなく、患者の推定的意思に基づくということもできないとの判断を示しました。
同判決は、被害者の病状等について適切な情報を伝え、かつ抜管行為が被害者の推定的意思に基づいている場合であれば、生命維持治療の中止として気管内チューブの抜管が許容されるとの解釈の余地を残しているといえるでしょう。

福島県病院協会会報2018年3月号掲載