質問

昨年末、当社が経営しているスーパーマーケットの敷地の隣地住人Aから、スーパーマーケットに設置したコンプレッサーの稼動音がうるさいとの苦情がありました。この苦情を受け、当社は本年3月にコンプレッサーの周りに防音フェンスを設置し敷地外に漏れ出る音が減少していることを確認しました。しかしAは「まだうるさい」として当社に損害賠償とコンプレッサーの稼動停止を求めています。当社はAの求めに応じなければならないのでしょうか。

回答

1 生活環境侵害と受忍限度論

一般的に人が社会生活をするうえで音を発することは避けられないことから、音を発することを一律に違法とはせず、社会生活上一般に受忍すべき範囲を超えて初めて違法とすべきであるとの考え方があり、これを受忍限度論と呼びます。

騒音問題に限らず、風害、電波障害、日照阻害、悪臭、水汚染といった生活環境の侵害については、通常、不法行為に基づく損害賠償請求又は人格権侵害等に基づく加害行為の差止請求訴訟のかたちで裁判の俎上に載るところですが、受忍限度論はこれら生活環境侵害に関する紛争における一般的法理として機能しています。

生活環境侵害に関する損害賠償請求においては、侵害行為が受忍限度を超えるものか否かをもって不法行為の成立要件としての違法性の有無を判断することになります。受忍限度を超える侵害か否かの判断については、侵害行為の態様、侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、地域環境、侵害行為の開始とその後の継続の経過および状況、その間にとられた被害の防止に関する措置の有無およびその内容、効果等の諸般の事情を総合的に考慮することになります。たとえば、工場の操業音の騒音にかかる損害賠償請求訴訟において、工場が環境規制とは別の建築基準法に違反していた場合、その事実は受忍限度を超えるか否かを判断する際の事情の一つとして考慮されるとしても、その点のみをもって受忍限度を超えるとの判断ができるものではありません(最高裁平成6年3月24日判決)。

差止請求では、損害賠償請求の場合に考慮する事情に加えて損害防止の困難さの程度、それに要する費用、防止義務者に与える影響等といった事情をも考慮してより慎重に受忍限度を超えるか否かを判断することとなります(大阪地裁昭和62年4月17日判決)。損害賠償請求における受忍限度と、差止請求における受忍限度には差異があると解されており、損害賠償請求において受忍限度を超えると認定された場合であっても、そのことから直ちに差止請求が認められることにはなりません。

2 規制基準と受忍限度

騒音については、国や自治体が個々の規制を行う際の参考とする環境保全のための目標値(環境基準)を政府(環境省)が定めており(環境基本法16条)、環境基準を達成するため、各自治体が騒音規制法に基づき条例により用途地域と時間の区分ごとに何デシベルという具体的な数値による規制基準を定めています。

店舗営業用冷暖房設備の室外機が条例基準や環境基準を超過する騒音を毎日継続して発生していたことから、受忍限度を超えるとして店舗の上階の居住者の営業店舗所有者及び賃貸人に対する損害賠償請求を認容した裁判例(東京地裁平成14年4月4日判決)のように、損害賠償請求に関しては、侵害行為が規制基準を超過するものであれば受忍限度を超えるものとして違法性を認める判断をするのが一般的です。

もっとも、最高裁の考え方では侵害行為が規制基準を超過するものであるか否かはあくまで考慮要素の一つであって、規制基準を超過していなくとも受忍限度を超えるものとして損害賠償責任を負うとの判断があり得ることに注意が必要です。建設業者が県から受注した水路橋敷設工事により生じた騒音により、工事現場付近で酪農業を営んでいた者が飼育する牛が騒音等により死傷したり乳量減少するなどの被害が生じたとして、建設業者および県に対して損害賠償を求めた事案で、工事の騒音は騒音規制法上の規制基準に違反していませんでしたが、裁判所は、人の健康を保護する上で維持することが望ましい基準である環境基本法による騒音にかかる環境基準や、人間の聴覚を前提とした騒音規制法による規制のほか、牛の習性にも着目した検討を必要であり、騒音規制法の規制基準にはない最大騒音瞬間値をも違法性を判断する際の重要な要素として考慮すべきであるとし、200頭の牛のうち89頭が短期間に負傷、衰弱し、うち68頭が死亡、または屠畜せざるを得ない状態となる大きな被害が生じていることから、工事の騒音レベル、工事の施工方法や公共性等の事情を考慮しても、受忍限度を超える騒音を発生させたものとして違法性が認められると判示した裁判例があります(仙台高裁平成23年2月10日判決)。

3 本件の場合

本件において、スーパーマーケット所在地の自治体が規定する騒音の規制基準に照らし、コンプレッサーの稼動音がA宅において基準値を超過するものであるか否かが判断要素になるものと考えられます。

基準値を超過していればその超過した期間および超過の程度に応じて、Aの損害賠償が認められる可能性が大きいといえるでしょう。

損害賠償を命じられる場合であっても、コンプレッサーの稼動停止については、損害防止の困難さの程度、それに要する費用、当社が受ける影響等といった事情を考慮してより慎重に判断されるので、当社がAの苦情を受け設置した防音フェンス設置により隣地に漏れ出るコンプレッサー稼動音が減少し状況が改善していることからすれば、現在も規制基準を超過しているなど違法性が相当程度高いと認められるような事情がない限り、稼動停止を命じられる可能性は低いものと考えます。

福島の進路2022年9月号掲載