医師の守秘義務と捜査機関への通報

質問

当病院の患者の診察中の検査で覚せい剤の反応を認めました。担当医師として覚せい剤の反応があったことを警察に通報すべきでしょうか。
通報した場合、守秘義務に反することになるのでしょうか。

回答

刑法134条1項は、医師が正当な理由がないのにその業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処するとしています。刑事訴訟法149条は医師業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについては証言を拒むことができるとし、民事訴訟法197条1項2号は医師は職務上知り得た事実で黙秘すべきものについて尋問を受ける場合に証言を拒むことができるとしており、医師としての種義務を前提として刑事訴訟上及び民事訴訟上、医師の供述拒否権を認めています。

医師の守秘義務は絶対的なものではなく、法令により医師に届出、通告の義務が課されている場合があります。

たとえば、麻薬及び向精神薬取締法の58条の2第1項は、医師は、診察の結果受診者が麻薬中毒者であると診断したときは、すみやかに、その者の氏名、住所、年齢、性別その他厚生労働省令で定める事項をその者の居住地の都道府県知事に届け出なければならないと規定しています。

また、児童虐待防止法6条1項は児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならないとしています。これらの届出、通告は法令に基づく義務行為として守秘義務に反するものではありません。

さらに、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(いわゆるDV防止法)6条1項は配偶者からの暴力を受けている者を発見した者は、その旨を配偶者暴力相談センター又は警察官に通報するよう努めなければならないとし、同2項は医師その他の医療関係者は、その業務を行うに当たり、配偶者からの暴力によって負傷し又は疾病にかかったと認められる者を発見したときは、その旨を配偶者暴力相談支援センター又は警察官に通報することができるとしています。これは、医師に通報義務を負わせるまでのものではありませんが、通報は法令に基づく行為として守秘義務違反となることはありません。

患者本人の承諾がある場合は患者の個人情報の開示が許容されるほか、第三者の利益を保護するために個人情報の開示が許容されることもあります。法令や患者本人の同意に基づく患者の個人情報の開示は、どこまで情報を開示することが許容されるかにつき、法令又は患者本人の意思に従うことになるので、その許容される範囲について比較的明確に判断することができますが、第三者の利益保護のために開示する場合は開示の必要性と開示によって損なわれる患者本人の利益とを比較衡量したうえで開示すべき範囲を見極めなければならないため注意が必要です。

覚せい剤取締法には医師に捜査機関への通報を義務付ける規定も、通報を努力義務とする規定も、通報を許容する規定もおかれていません。このように法令上捜査機関への通報を根拠付ける規定がない場合、医師が診療の過程で察知した患者に関する事実につき捜査機関に通報することは犯罪事実の発見という公益的要請にかなうものである反面、患者の刑事責任が問われる端緒となるものであり、医師の守秘義務との関係で慎重な判断を要します。

医師が所属する医療機関が国または地方公共団体が設置するものである場合、そこに勤務する医師は公務員の地位にあるので、刑事訴訟法239条2項に定める公務員の一般的な告発義務を負っており、患者に関する犯罪事実を捜査機関へ通報しても守秘義務違反とはなりません。

民間の医療機関に勤務する医師が患者に必要な治療又は検査の過程で患者に関する犯罪事実を察知した場合、捜査機関に通報する法律上の義務を負うものではありませんが、一般市民が犯罪事実を察知した場合に求められるのと同様の対応として(刑事訴訟法239条1項)捜査機関へ通報しても守秘義務違反とはなることはないと考えられます。

 

捜査機関への通報と医師の守秘義務に関しては参考となる裁判例があります。

治療の目的で救急患者から尿を採取して薬物検査した医師の通報を受けて警察官が押収したその尿の入手過程に違法はないとされた事例【最高裁 平成17.7.19決定】

国立病院A医療センターに所属する担当医師が、腰背部に刺創を負って救急搬送されてきた患者を治療する目的でその尿を採取したうえ、診察した時の被告人の言動等からして薬物使用が疑われたことから、薬物検査も併せて行ったところ、覚せい剤成分が検出されたため、これを警察官に通報し、これを受けた警察官が令状により被告人の尿を差し押さえたという事案において、被告人(当該患者)は薬物検査した行為は医療上の必要のないうえ、被告人の承諾なく強行されたものであること、担当医師が警察に通報した行為は医師の守秘義務に違反していることを根拠に、被告人の尿の押収には重大な違法がありその尿の鑑定書等の証拠能力はないとして争ったという事案です。