質問
当院において手術中の事故により一時呼吸停止となり、蘇生処置により自発呼吸が再開しバイタルサインも安定したものの、意識レベルは回復せず、入院継続中の患者がいます。患者本人は急性期を脱し容態も長期間安定していることから、当院から患者側に退院(転院)の申入れをしていますが、患者側は応じてくれません。
裁判により病室の明渡しを求めることはできるでしょうか。
回答
1 患者に病室明渡を求めることの許容性(患者の退去義務)
入院診療契約は、入院患者の症状を診察し、病院の入院患者用施設を利用して患者の病状が通院可能な程度にまで回復するよう治療に努めることを目的とする契約であり、患者の病状が通院可能な程度にまで回復した場合、目的を達したことにより同契約は終了し、患者は退院する義務を負うことになります。
通院可能な程度にまで回復したかの判断は、患者の訴える自覚症状も判断の一要素になりますが、専ら医療機関側の医学的、合理的な判断に委ねられているものと解されます。
医療機関側が患者に対して退院を申入れれば、多くの場合、患者はこれに任意に応じるものと解されますが、中には入院加療の継続を求め退院に応じない患者もいます。
2 患者に病室明渡を求めることの必要性
患者が退院に任意に応じない場合、医療機関側として患者側の求めのまま入院を継続させてよいというものではなく、退院すべき患者については退院させる必要があります。
その必要性の根拠の一つとして考えられるのが病院や病床の機能です。たとえば、災害拠点病院に指定されている病院においては、いつ生じるかわからない災害にいつでも対応できるよう対応可能な病床をできるだけ多く確保しておく必要があり、治療が終了した患者については速やかに退院させることが求められます。また、急性期病院においては、患者の容態が落ち着き急性期症状を脱したのであれば急性期病院として必要な医療行為を尽くしたことになり、使用可能な急性期病床数をできるだけ多く確保するため、急性期症状を脱した患者については速やかに退院させることが求められます。
また、特殊な事例といえるかもしれませんが、医療事故の紛争が絡んだ患者の病室明渡しの事例において、医療機関側が医療事故について患者側に対する態度を明確にしないうちに、患者側で医療機関側はミスを認め無期限で患者の面倒を見てくれるものと思い込んでしまうなど患者側の心情、思惑に起因して任意に退院してもらうことが非常に困難になる場合があります。医療事故に関し患者側から多額の損害賠償請求がなされている状況下では、医療スタッフが過度の緊張により冷静に当該患者の治療や処置にあたることが難しくなってしまうことがあります。このような事態は、当該患者のためにならないだけでなく、医療スタッフにとっても望ましくないことから、当該患者が通院可能な程度にまで回復している限り、速やかに退院させることが強く求められます。
3 患者に対する病室明渡請求が認められた裁判例
医療機関において術後遷延性意識障害の状態となった入院患者に対し病室の明渡等を求め、請求が認容された裁判例(東京地裁令和元年10月31日判決)を紹介します。医療機関が入院患者に対し退院を求めることの適否を判断する際の参考になるでしょう。
(1)事案の概要
被告患者は、急性期病院である原告病院において頚椎症性脊髄症と診断され、平成28年3月17日、頸椎前方固定術を受けました。同手術後、患者は病室に帰室したものの痰貯留により急変し呼吸停止となり、低酸素脳症による遷延性意識障害の状態になりました。患者の家族は被告が遷延性意識障害の状態となったのは病院の医療過誤であるとして、平成29年4月18日、病院に対し請求額合計約1億3000万円もの莫大な損害賠償を請求しました。
これに対し、病院は、患者からの高額の損害賠償請求により医療スタッフが冷静かつ客観的な診療を継続することが困難であること、高額な賠償請求により病院側と患者側との間の信頼関係がすでに崩れていること、患者はすでに急性期を脱していることなどを理由に平成29年4月21日と同年8月10日の2度にわたり患者の家族に対し転院を申し入れました。
しかし、患者側が転院に応じなかったため、病院は、患者に対し、病室から退去して明け渡すことを求めるとともに、病室明渡済みまでの間の室料相当損害金の賠償を求めた事案です。
(2)裁判所の判断
裁判所は、入院診療契約の目的を達成するために行われた治療が功を奏さず、被告が上記の程度にまで回復することがなく、引き続き何らかの医療行為又は処置が必要とされる状態に陥った場合、原告において被告の病状の安定に努めるべく医療行為を施すべきことはもちろんであるが、急性期を脱してその病状が長期にわたって安定し、回復期機能又は慢性期機能を有する病院においても同様の医療行為を行うことができる状態になった後もなお、高度急性期又は急性期の病床で永続的に患者の入院を引き受けて医療行為等を行い続けることは、医療法6条の2第3項、30条の13第1項等で病床の機能を分化させ、その機能に応じ、患者にも適切な選択を求めた趣旨にも適合しないし、そのように解すべき積極的な理由も直ちに見当たらないとし、患者が病室から退去する義務を負うか否かは、「患者の入院中に行われた医療行為の内容、現在の患者の病状及びその安定性、今後患者に必要とされる処置の内容、当該処置を実施することができる代替機関の有無等を総合的に考慮した上で判断する」という、判断基準を示しました。
そして、遅くとも原告が被告に本件病室の明渡しを求めた平成29年8月10日までには被告において積極的な治療行為を要する状態にはなく、急性期を脱して長期間安定した状態にあり、日常的に必要とされる処置は、糖尿病に対する血糖管理や痰吸引、胃瘻からの栄養剤の投与というものであって、これらは必ずしも原告でなくとも行うことが可能であるし、原告は、これらの処置を行うことのできる他の転院先を紹介する旨申し出ていること、原告の病床機能は、いずれも高度急性期又は急性期とされており、病床の稼働率も高く、常に満床に近い状況にあり、積極的な治療を要する患者のために本件病室を使用することが望ましいという事情があることを総合的に考慮すれば、原告と被告との間における本件入院診療契約は、遅くとも、被告の病状が急性期を脱して長期にわたり安定的に推移する状態となり、かつ、原告が被告に対して本件病室の明渡しを求めるに至った平成29年8月10日までには終了し、翌11日以降、本件病室を明け渡して本件建物から退去する義務を負うと判断し、原告の退去明渡請求を認容しました。
被告は入院診療契約が終了していないことの根拠として応召義務(医師法19条1項)も主張しましたが、裁判所は、被告の病状が長期にわたって安定した状態にあり、急変する具体的な危険性があることを認められないとし、原告が被告の家族に対し可能な転院先を紹介していることから、原告が「正当な理由」なく診察を拒否したものではないとし、被告側の応召義務違反の主張を排斥しています(応召義務の詳細については本誌116号参照)。
なお、裁判所は、入院診療契約が終了した平成29年8月10日の翌日以降の病室の占有には理由がないとして室料日額5400円相当額の損害の発生を認め、原告の賠償請求についても認容しました。
4 本件の場合
本件では、患者本人は急性期を脱し容態も長期間安定しており、特に当院において当該患者の入院を受け入れるべき特段の事情も認められないものと解されることから、最終的には判決を得て病室明渡の強制執行をすることができるものと解されます。なお、判決を得るのにも相当の期間を要するので、緊急の必要がある場合は退去の仮処分手続きの検討も必要になるでしょう。
もっとも、上記のような裁判所の手続きに至らずに済むよう、医療機関としては、患者側の心情に配慮しつつ、いつまで入院を継続することができるか(退院すべき時期)の見込みをなるべく速やかに患者側に誠実に説明し、紛争化の気配があるときは早めに弁護士に相談し代理人の立場から患者側を説得してもらうなどして、患者の理解を得て任意に退院してもらうのが望ましいことは言うまでもありません。
福島県病院協会会報2024年5月号掲載